【対象】
令和3年度版「新しい国語」
その疑問にお答えする前に、まず、そもそも学校文法ではなぜ連文節という概念が導入されているのか、という点から改めて整理してみます。その理由は大きく分けて二つあります。
一つは、文節論の理論的な欠陥を補うという点にあります。それは特に、並立の関係を持つ文節と、補助の関係を持つ文節とに関わってきます。
まず、並立の関係を持つ文節の場合を考えます。
(1)青く 広い 海が 見える。
(2)私と 妹が 公園に 行った。
の「青く 広い」(1)、「私と 妹が」(2)に関して、連文節を導入しないまま文節の考えを杓子定規に適用すれば、(1)では「海が」にかかる連体修飾語は「広い」だけで、「青く」は「広い」の連用修飾語ということになってしまいます。(2)では、「行った」という述語に対する主語は「妹が」のみということになってしまいます。しかし、自然な言語感覚では、当然、「青く」も「広い」もともに「海」の様子を表していると考えますし、「行った」という行為の主体は「妹」だけではなく「私」と「妹」の二人と考えます。
補助の関係を持つ文節の場合は、もっとおかしなことになります。
(3)家を 出た ときには、 雨が ポツポツ 降って いた。
この例について、やはり連文節を導入しないと、「雨が」という主語に対する述語は「いた」である、という説明をするしかありません。しかし、言うまでもなく、「降って いた」の二文節のうち、実質的な意味を持っているのはむしろ「降って」であって、それを取り除いて「雨がいた」などという文を作っても意味をなしません。
このように連文節は、第一に、文節論が自然な言語感覚とかけ離れてしまうことを防ぐために導入された概念です。「青く広い」(1)、「私と妹が」(2)、「降っていた」(3)のようなものは、ひとかたまりとなって文節相当の働きをする、と考え、それを連文節とよんだのです。
実は同様のことは、並立の関係・補助の関係の場合に限りません。例えば、
(4)母が、入院して いる おばあちゃんの お見舞いを した。
(5)弟は 来年 小学4年生に なる。
のように、「する」「なる」のような抽象度の高い動詞が述語である場合にも、「母がした」「弟はなる」では、ほとんど意味のない文にしかなりません。「お見舞いをした」「小学4年生になる」でひとまとまりのものと考えなければおかしいので、やはり連文節となって初めて、文の中でまっとうに働くと見るべきものです。
さて、連文節という考え方が導入されたもう一つの理由は、言葉の単位についての分析である文節論を、文の仕組みや成り立ちに関する論(構文論)へと発展させるため、ということです。
文節は互いにさまざまな関係で結び付いて、「文」を成り立たせます。このとき、文節の結び付き方は一様ではなく、その緊密度には違いがあります。並立の関係・補助の関係を持つ文節どうしは、最も緊密度が高いため、文の中で初めに結び付きます。また、その他の関係についても、それぞれ語順や関係の在り方に従って、緊密度の高いものから順番に結び付きます。
(6)白い 花が 咲いた。
この例の場合、「花が」と「咲いた」が先に結び付くとすると「白い」は「花が咲いた」を修飾することになり、やはり自然な言語感覚には合いません。あたりまえのようですが、この場合は、まず「白い」と「花が」が修飾・被修飾の関係で結び付いて「白い花が」というまとまりをなし、次にそれが「咲いた」と主語・述語の関係で結び付く、と考えるべきでしょう。そして、この場合、結び付きの途中段階である「白い花が」は、これもやはりまとまっての機能を有している(この場合は主語相当)のであり、連文節とよんでよいものであると考えられるのです。この場合は、連体修飾語と被修飾語が連文節を作っていますが、これは連用修飾語と被修飾語の場合でも何も違いはありません。先に挙げた(4)(5)の例、「お見舞いを した」「小学4年生に なる」は連用修飾・被修飾の関係にあります。これを連文節にならないと考えるのは、おかしいでしょう。
更に、構文論的な領域にまで踏み込んで連文節を考えたときには、連文節は徐々に大きく結び付いていって、やがて文になる、という考えに行き着きます。次の例で考えましょう。
(7)私が 大切に 育てたので 白い 花が 庭の 花壇で きれいに 咲いた。
まず、単文節どうしの関係で見て、隣接していてかつ直接の関係を持つのは、「大切に 育てたので」「白い 花が」「庭の 花壇で」「きれいに 咲いた」の四つのペアです。この段階では、次のような連文節の区切りができます。
(7)-1 私が 大切に育てたので 白い花が 庭の花壇で きれいに咲いた。
次に、「私が 大切に育てたので」「庭の花壇で きれいに咲いた」が結び付きます。この段階での連文節の区切り方は次のようになります。
(7)-2 私が大切に育てたので 白い花が 庭の花壇できれいに咲いた。
次に、「白い花が 庭の花壇できれいに咲いた」が主語・述語の関係で結び付きます。
(7)-3 私が大切に育てたので 白い花が庭の花壇できれいに咲いた。
最後に、「私が大切に育てたので」と「白い花が庭の花壇できれいに咲いた」が接続の関係で結び付きます。第一段階の「大切に育てたので」「白い花が」「庭の花壇で」「きれいに咲いた」も、第二段階の「私が大切に育てたので」「庭の花壇できれいに咲いた」も、第三段階の「白い花が庭の花壇できれいに咲いた」もどれも「連文節」です。更にいえば、「文」それ自体が、連文節の最終段階だとさえいえるのです。構文論的に考えたとき、文節とは違って、連文節は一通りの区切り方だけがあるのではない、ということは重要です。
こうした、構文論的な領域に踏み込んだ、連文節の階層性は、文節や連文節を初めて提唱した国語学者である橋本進吉によっても、あるいはその後の文法研究者によっても、連文節論の中核的な考えとして説かれてきたものです。
これまで述べてきたことをまとめて言えば、こういうことです。連文節が学校文法に導入された二つの理由のうち、第一のものは、文節論の欠陥を補うもので、文節の説明をするならばどうしても必要になるものです。それに対して第二の理由は、発展的な理由といえるでしょう。「新しい国語」は、この第二の理由に関わるところ(つまり構文論)まで理解する、ということを目標として編集されています。他社の教科書には、ここまでは取り上げないものもありますが、それは、連文節に関する理解の目標を、便宜的に、第一の理由までにとどめているのです。その場合には、連文節について、並立の関係・補助の関係によってできたものだけを説明すればおおむねこと足りるわけで(ただし、その場合でも「にこにこ笑う」のような例を連文節とするのが「誤り」であることには当然なりません)、分かりやすさ、という点からすれば、こちらを採用するのにも理由はあります。しかし、前に述べた「お見舞いを した」「小学4年生に なる」というような場合を連文節としてきちんと理解することができないおそれがある、というのはいささか困ります。
「新しい国語」では、そのような不都合を避けるためにも、また、より深い文法理解のためにも、連文節の取り扱いをもっと発展的なものにしました。そして、そのように構文論的な領域にまで踏み込んだ場合には、隣接していて、直接の関係を持つ文節どうしはいかなる関係によっても連文節を作る、ということや、連文節の区切り方には階層性がありうることを、説明する必要があるのです。